根井雅弘は、京都大学の教授で、現代経済思想史の専門家です。経済学は、変化し続ける実践と理論の緊張関係の中でこそ発展してきたし、これからも発展していくはずだ、という著者の価値観がにじみ出てくる一冊で、飽きることなく読み進められました。
この本を通じて、単に現代経済思想の系譜を効率的に学び、主要な理論の位置関係と射程の概略を理解することに止まらず、社会起業家が経済学への発展に寄与しうる可能性を感じました。
■効率的に学ぶことができる現代経済思想史の教科書
現代経済学に連なる先人たちを追い、その問題意識と理論の射程について理解できます。
200ページ弱で、本としては薄いですが、カバーしている範囲は極めて広いです。
著者が別の場所で示している以下の系譜は、読む際の道しるべになると思います。
こうした経済学の系譜をたどることで、今の主流派の経済学も未来永劫万能とは言えず、社会が移ろえば、主流派の経済学も変化することを理解することができます。
■経済に関わる対話を生産的にする「地図」
著者は「『複数の経済理論によるアプローチ』を知ることによって、みずからの立場を「相対化」することが、自由社会における寛容性につながると信じるから」(p.178)と述べています。
私も、この本が、経済学について考えるうえで、自分の立ち位置が今までの経済学のどの立場に近く、どの立場に遠いのかを理解する、良き「地図」になります。
時に、一定の考え方が世に支配的になります。例えば、「市場は万能であり、出来る限り市場にゆだねれば物事はうまくいく」というような論説です。もちろん、支配的になっているにはその社会の大きな文脈を捉えているのですが、だからと言って、完全無欠ではありません。
例えば、市場に委ねても、環境問題や貧富の格差といった社会課題が発生しています。
つまり、社会の情勢により、その支配力は移ろうし、ある考え方ではカバーされない社会課題が存在するのです。
あらゆる経済理論は、限界があり、その限界を超えている新たな社会課題が発生している場所では、対話し、悩めばよいのです。自分の理論の正しさを擁護するために、労力を使いすぎることはナンセンスなのです。
著者も、「それぞれの「学派」に属する人々がお互いに「対話」を通じて自分たちに足りないものを発見する方向に行けば生産的なものが生み出される可能性があるが、単にお互いが「反目」しあっているだけなら貴重な時間の無駄になる恐れがある」(p.172)と戒めています。
後世に語り継がれる経済理論には、必ずや、その社会背景があり、その社会背景に答えたからこそ主流派となり後世に影響を与えたのです。その背景と共に経済学を理解する、助けとなる本です。
■社会起業家は、経済学の進歩に貢献しうる
著者は、1890年に記されたアルフレッド・マーシャルの言葉を引用しながら、本文を締めくくっています。
「経済的な考慮が相当に重要ではあっても決定的ではないような広大な論争の領域が存在する。そのような領域に対して経済学者がどの程度自らの研究を広げるかは、自分自身で決めればよいことであろう。」(p.168)
当時、欧米列強による帝国主義的な領土拡大の最中であり、その後の二度の世界大戦に続く破滅への道に転がり込んでいく時代です。現代社会にも、当時と変わらぬ深刻な世界を破滅に追いやりかねない社会課題が存在します。大量破壊兵器の拡散、人口爆発、テロなど、です。
著者は続けて、マーシャルの言葉を引用し、起業家的な営みを経済学者に示唆しています。
「何らかの明確な基準に還元できる外的な表現をとることのない状態と動機に多くかかわる時には、国の内外の現世代やそれ以前の世代の他の研究者の観察と思索から得られる助力と支持を、ほとんどすべて断念しなければならない。自分自身の本能と推測に主として依存しなければならない。個人の判断にとどまる場合の遠慮をもって語らねばならない。しかし社会研究の知られることの少ない、知ることの困難な領域深く分け入る際には、自らの仕事を注意深く進め、その限界を十分意識して進めるならば、すばらしい貢献をなし遂げることであろう。」(p.168)
社会課題のど真ん中で活躍する起業家の営みからは、経済学の射程を大きく広げる可能性があるということです。
社会起業家は、政策提言という形で、議員たちに影響を与えることで国や地方自治体の運営に影響力を発揮することができます。
同様に、社会起業かは、社会課題に取り組む活動を通じて、経済学者たちに影響を与えることで、経済学の進歩にも貢献しうると考えられます。
経済学の博士号を持つムハマド・ユヌスがグラミンを創設した想いにも通ずるところがあると思いました。
『経済学とは何か』根井 雅弘 著
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