分断がもたらす世界を感じられる悲しみに満ちた映画をご紹介したい。人間性を喪失した時代にならないように、願いを込めて。
登場人物はすべて、厳しい時代の中で、家族の生活を背負いながら日々生き抜こうと暮らしの中で浮き沈みしていく。力で人が人を支配する帝国主義の時代がもたらした、製糸工場に関わる人たちを描いた群像劇。女性の生きざまが中心だが、その周辺の男の生きにくさも、まざまざと感じられる。
20世紀初頭、国が国を食い合う時代を生き抜くために、富国強兵政策をとる日本を下支えした製糸業。当時、日本の生糸輸出量は、世界一になり、外貨獲得、軍備増強の支えとなった産業だ。とはいえ、生糸価格は乱高下する。製糸工業経営者も、相場が崩れれば廃業するものも多い。「製糸業は生死業」とも嘯かれる厳しい経営状態だ。
製糸業を支える工女は、世界の景気、製糸業の揺らぎに、木端のごとく振り回される。貧しい農村で口減らしで年季奉公に出された10代や20代の少女だ。わずかに前払いされる契約金と同時に足かせのごとくはめられる懲罰的な違約金だ。経営環境が悪くなれば、一方的かつ詐欺的な労働強化を受ける。
工場の日常生活は、厳しい。朝から夜までぶっ通し働き、夜は、逃走防止のための錠のかかった部屋で寝る。監獄。劣悪な労働環境は、経営者の父権的な経営スタイル、不正、肉体関係の強要、により、一層深刻なものになる。とはいえ、工女がいて生糸ができる。工女たちは、自分の家では決して食べることのできない飯を三食、食える。
工女の腕により、生糸の質が左右される。仕事が粗ければ、飯抜き、罰金だ。上等であれば、表彰を受け、給金も増える。
ハレの日は、雰囲気が一変する。皇族が来る、若旦那が結婚すると祝いになる。饅頭が配られる。休みで町に出られる。盆踊りで束の間、厳しい生活を忘れられる。
映画は、華麗なシルクのドレスで装うレディたちのダンスからはじまり、冬の飛騨の村に移っていく。この話の主人公「政井みね」は、飛騨の寒村で、飯を食うや食わずやの家から、年季奉公に12歳で出された。厳寒期の雪山を命がけで移動して、信州岡谷の製糸工場に入る。
幸いにして、みねは、優等工女(100円工女と呼ばれる)になり、田舎の家に大金を持って帰り、村の誇りとなった。父母に新しい服を、家族全員に腹いっぱい食わせられる存在だ。
しかし、みねは、病気を患い、実家から兄が迎えに来て、工場を去り、実家のある飛騨に戻る途中の野麦峠で映画はクライマックスを迎える。
個人的な見どころは、飛騨から岡谷への120kmの道のりで雪山を照らす松明の列、テンポ速く恍惚の雰囲気に包まれる盆踊りの佳境、峠から見える故郷の景色だ。