生き方に迷った時に・・・
- 迷う。たぶん、死ぬまで迷う。できるなら、子供心で楽しみながら迷いたい
- 子会社を清算する時に、深く悩んだ。仕事中心に生きたからこそ、苦しんだ
- 仕事から離れても、仲間との繋がりは無くならなかった
- 迷って、「遭難」しているのであれば、登り返す勇気こそ必要
- 「そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ」
■迷う。たぶん、死ぬまで迷う。できるなら、子供心で楽しみながら迷いたい
僕自身、よく迷う。長く迷ってきた。今も迷っている。悟りをひらいて迷いを無くしたいが、欲深いので、たぶん、死ぬまで迷うだろう。
ただ、迷いのために人生を台無しにしたくは無い。迷うことも楽しめるようにもなりたい。
実は、町を歩いて、軽く道に迷うのは、結構好き。周囲の風景が突然、見慣れぬ新鮮なものになるから。きょろきょろと、好奇心を持って、何もない町並みを見ることができる。
一方で山を歩いて、道に迷うのは、途方もなく恐ろしい。落ち葉で埋もれて道が定かならない場所を歩くことは、恐怖。コンパスを頻繁に出しながら、大丈夫かな?とビクビクしている。踏み外したら最後、遭難するかも、と思う。
生き方で迷うのも、同じように、好奇心と恐怖の双方がある。迷うことを子供心で楽しんでいる時と、迷うことで恐れている時もある。
■子会社を清算する時に、深く悩んだ。仕事中心に生きたからこそ、苦しんだ
心の底から迷ったことを思い出してみる。10年も前のことながら、営業責任者を当時していた小さな子会社の継続について意見を求められた時があった。それは、別のブログで書いた、仲間が離れて行った時期。自業自得ながら、ひどく辛かった。
僕自身が強く意見を持ち、誰かの力を借りることができたなら、継続できた可能性もあった。でも、どう考えても、何度考えても、続けていくための答えが出ない。
前の上司からも、「やめることが妥当」という意見もあった。
ただ、どうしても、5年間続けてきて、夢を語り続けてきて、その自分自身の語った夢の実現のために、やめられなかった。心の整理がつかなかった。
悩んで、悩んで、悩んで。メンターをしてくれていた人から、「根を詰め過ぎるな」という類のアドバイスをもらったことが、今でも思い出せる位だ。
■仕事から離れても、仲間との繋がりは無くならなかった
当時の僕は、仕事を誰よりもやっていたと思う。当時の人事役員と話をしたときに妙に仕事への「コミットメント」という言葉を使っていたし、その言葉に共感していたし、残業時間もかなりあった。たぶん、誰よりも働いていた。それを自信のよりどころにした。
仕事を誰よりもやっていることを自信のよりどころにすると、仕事を放棄することは、自らの存在意義を手放すことになり、とてつもなく怖いことになる。
仕事から離れる事で、自分が信用されなくなるのでは、と恐れていた。一番何を恐れていたか、今、考えると、他人の期待を裏切る事が怖かったのだと思う。この時は、上司というよりも、一緒に頑張ってくれていたメンバーだった。
一緒に、苦労して踏みとどまっていた仲間だから、そんなことはないのにね・・・。我ながら、今思えば、馬鹿だなと思う。
実際、あのときの、仲間とは、今でも一緒に働いていたり、一年に一回飲んでいたりするのだから。
■迷って、「遭難」しているのであれば、登り返す勇気こそ必要
生き方に迷った時に、何が必要か?
山で遭難した時の対処法が参考になる。
遭難した際にどうすればいいか、以下のように書かれている
山岳遭難事故で、件数が多いのが「道迷い」です。
予定とは違う道に進んでしまったり、道ではない場所へ入りこんでしまったら、いったん行動を中断し、落ち着いて対処を考えましょう。
「このまま進めば目的地に着くはず」といった思いこみは深刻な事態を招きます。歩きつづけるうちにさらに状況が悪化しかねません。コースの誤りに気づき、進んできた道が判別できる状況なら、地図で確認できる地点までもどることが第一。もしヤブなどに入りこんでしまったら、できる限り安全なルートを探りながら尾根上へ向かって登ります。見通しのきく地点まで登れば、周囲の地形から現在地を把握しやすく、解決の糸口も見えてきます。
下るほうが楽だからと、安易に下ってしまうと、滝や急流に阻まれ、進退きわまってしまう、または足を踏み外して転落・滑落事故を起こしてしまうことがあります。沢へ下るのは危険だと認識しておきましょう。
http://www.yamakei-online.com/beginners/step07.php
下るのではなくて、登る。
そして、今起こっていることを、少し高いところから俯瞰する。
この俯瞰、コーチングのスキルの一つでもある。
俯瞰によって、クライアントは自分のビジョンや生き生きとした人生のイメージを再び思いだすことができる。山のふもとで、これから登らなくてはならない山を見上げてひるんでいるような時、一旦その山の上空からあたりを見下ろすことで、新鮮な目で物事を見ることができるようになる。
(『コーチング・バイブル: 本質的な変化を呼び起こすコミュニケーション』
著者: ヘンリー・キムジーハウス、キャレン・キムジーハウス、フィル・サンダール)
迷った時は、一旦、登り返して、自分のビジョンや生き生きとした人生のイメージを再び思いだすことで、次にどちらの方向に進めば良いのか、おのずと見えてくる。
迷ったまま、ひたすら下っていくと、危険この上ない。
逆に、見えていれば、戻る事も怖くない。ちょっと位迷っても、町の中で、子供心で迷うことと変わりはしない。余裕がある。
■「そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ」
余力のあるうちに、登り返すようにする。そうすれば、今の仲間と、将来もきっと盃を傾け、過去を語れるはずだから。
そんな時代もあったねと
いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと
きっと笑って話せるわ
だから今日はくよくよしないで
今日の風に吹かれましょう
中島みゆき作詞・作曲 「時代」
だから、余力を残して、登り返そう。
(余力を残すことは、全力を尽くしていないのでは?と思う方へ。もしくは、余力をどれくらい残して引き返せばいいのか?という疑問の方へ。「安全余裕率」とは何か?を別日のブログで書きたい)