生きていれば痛みはある。辛いことも、耐えがたいことも、忍びがたいことも、泣き叫びたいことも、怒りたいことも、投げ出したいこともある。人生はままならない。人生は傷だらけ。生傷となって疼くものもあれば、出血しているものもある。いつのまにか忘れてしまった古傷もある。
■痛みと向き合う、静かに、そしてゆっくりと
人は、痛みと向き合うことは、辛く、そして、怖いため、避けようとする。
あまりにも辛いできごとは、横において、ふたをして、無かったことにしたい。痛みを忘れる手段も増えた。刺激の多い世の中になった。旅行、音楽、演劇、仕事、テレビ、買い物、ゲーム、ギャンブル、酒、セックス、など。手を伸ばせば、痛みを横において前に進むこともできる。
しかし、いつかどこかでそっと静かに痛みと向き合う時間が大切になる。忘れたままだと、人生、何かを置き忘れてしまった不完全な感じになってしまうからだ。
痛みと向き合いはじめると、そこにパワーがあることに気づく。
■パワーを手にする、希望と共に
痛みにふれはじめると恐れがでる。痛みはパワーだから。いままで人生を変えうるパワーだから。変わった結果どうなるかは、予見できない。いままでの人生とは違った人生になるのは分かっている。
痛みのパワーは、間違って使えば、人を滅ぼしてしまう。自分は犠牲者だと思うと、無気力や復讐へとつながっていく。痛みに呑まれてしまうと自らの命を絶つ人もいる。復讐に走ると周囲を焼き尽くし、自分自身を焼き尽くす。社会が痛みを間違って使えば、テロや戦争につながることも私たちは知っている。
一方で、痛みのパワーは正しく使うこともできる。痛みから、新たなパワーや勇気が生まれ、社会を善き方向に変えることもできる。東日本大震災の未曽有の痛みの後に、生まれた社会の絆やリーダーを私たちは知っている。
痛みの中で、パワーを前向きな力に転化する、心持ちを希望という。
■パワーを活かすリーダーたち、志と共に
リーダーは、時に、目の前の人に痛みを思い起こさせ、その痛みを希望と共にパワーに転化する。
痛みから生み落とされたパワーを、インパクトに向けて様々な手法を用いて効果的・効率的に生み出していく。
良き方向に使うリーダーもいれば、悪しき方向に使うリーダーもいる。
パワーにふたをすることはできない。そこにパワーがあれば、誰かが使うことになる。
望むべくは、そのパワーを志ある人が使い、社会をより善きものにしてほしい。
痛み+希望+志 → 善きパワー なり。