福島第一原子力発電所(1F)に小高ワーカーズベースの代表の和田さんとグロービスの仲間たちと視察に行ってきました。東北でコーチングを広める仲間との旅から以来で、大熊町に一度行っていたので、この地域は二度目になります。そして、初の1F視察でした。
実際に行ってみて、体感してみると、多くの矛盾がここにあり、色んな気持ちが出てきます。この事故を引き起こした誰かを非難したくなる気持ちや、電気を野放図に使うご都合主義の自分への自己弁護や、真摯に自分自身の生活を見つめなおし未来への責任を考えねば、という気持ちも。
その中で一番心に残っている気持ちは、まだまだ混沌としているこの場所を愛し、暮らしている命に、勇気づけられる気持ちです。
2011年の東日本大震災以来、避難生活を余儀なくされ、そして、避難解除と共に街に戻り、新しく作り上げようとする人たちがいます。空白の5年、6年を超えて、避難先から戻り、生まれ育った地域の暮らしを取り戻そうとする勇気と営みに、心動かされました。
1Fには、祟り神のように、荒ぶる事故を起こした原子炉たちを、一生懸命、鎮め、世界から切り離そうと働くひとたちがいました。真摯に向き合っている姿に、純粋に感謝の気持ちを覚えました。1Fで働く人の55%は地元の人です。地元の暮らしを取り戻すために、きっと日々努力されているのだと思いました。
まだ避難区域に指定されている場所も残っています。そうしたところはゴーストタウンや、震災後のガレキの山が残る物寂しさがありましたが、同時に、命の逞しさを感じました。人が離れたことによって、多くの命がおもいおもいに闊歩していました。猫柳や杉の低木が、しっかりと育っていました。イノシシ、キジ、キツネが多く出るといわれています。海では座布団のようなカレイが釣れる、アサリも、育っていると聞きました。人間が手をつけないだけで、自然の命は溢れてきています。
ないものに目をむけるのではなく、あるものに目を向ける。さまざまなソーシャルな活動で、最初の起点になる物の考え方だと思っていて、私の座右の銘にしています。
すると、未知なる「祟り神」に立ち向かい共生している逞しい人たち、豊かな命がありました。
人間も自然の生き物たちも、福島を愛し、暮らしているように思えました。