職場近くの風変わりなラーメン屋に行った。
感動した。味にも感動したのだけど、それ以上に、店内スマホ禁止というスタンスが気に入った。なんで、こんなに感動したのか、言葉にしたい;
- スマホは、生活の隅々に行き渡っている。生活に切っても切り離せない存在
- だからこそ、スマホを禁止するには、勇気と自信の裏付けを感じる
- スマホを禁止することで、感じる力、味わう力が強くなる。お客も店も幸せになる
- 最高の夢をかなえたければ、指先に集中するな。Don’t think. Feeeel!
■スマホは、生活の隅々に行き渡っている。生活に切っても切り離せない存在
歩きスマホ禁止。携帯電話会社から発信されている。近頃は、自動車や自転車を運転していると、歩きスマホをしながら、車道を横断する猛者にあう。えっと思う。イヤホンしながらスマホ画面を見て、悠然と車道を横断する姿は、むやみに急いでいる運転手の肝を冷やす社会的効果がありはするが、本人が賭けている身体の安全と比較考量すると、全然釣り合わないと思う。釣り合わないのに賭けさせる、傾国の美女と言わんばかりの、判断を狂わせるだけの魔力をスマホは持っている。
スティーブ・ジョブスが世に出したスマートフォンは、瞬く間に、世に浸透した。
スマホの日本での普及率は、約50%。
特に女性の20~24歳では94.0%、同25~29歳では90.0%、また男性の15~19歳では89.0%、同20~24歳では85.0%に上っている。
僕も、愛用している。隙間時間があれば、見ている。朝起きる目覚ましも、スマホだ。時間を確認するのもスマホだ。ニュースをチェックするのも、実家に電話するのもスマホだ。
この前、同僚がスマホを忘れて、スマホ禁断症状に陥っていた。不安でしょうがないと。その気持ちよくわかる。スマホが無くなることが想像しづらい生活になっている。
■だからこそ、スマホを禁止するには、勇気と自信の裏付けを感じる
だから、あの新装ラーメン屋に行って、看板を見たら、目を疑った。おまえは、正気か!?客が暴動を起こすんじゃないか!?満足度が下がるんじゃないか?
だって、スマホの店内利用を禁止しているのだから。
もちろん、いくつかの理由でスマホを禁止している場所があるのは知っている。長期合宿型研修プログラムや、上映中の映画館、病院のある区画、離着陸中の飛行機の中など。特殊な空間を作るためにね。
ただ、こんな都心のラーメン屋という俗世間のど真ん中でスマホ禁止の店なんて見たことがない。驚きだ。
中毒症状を起こすスマホを使わせないと言う店主の気概、恐るべし。どれだけ味と雰囲気と所作に自信と勇気があるんだ!スマホという「お客様が黙る道具」を封じることで、お客様が隅から隅までなめまわすように見て(厨房が汚ければすぐに気付かれてしまう)、待ち時間が長くなれば文句を言うだろうし、味がまずければ、二度とこの店には来ないだろう。
僕は、スマホ禁止に好奇心はあったが、ちょっと高いこの店に入るか迷った。並んでいるし、一杯1,000円。安くない。途中通った立ち食いソバなら500円で、今日行けば何と、トッピング無料の5枚綴りくらいのクーポン券が配られるし、きっと早く食べ終えて、仕事ができる。逡巡していると、若者に抜かされた。うーーん、どうしよう。。。悩んでいると、近頃自転車を漕ぎまくって健康体になっている元上司の言葉が浮かんできた。「食事は、重要。体を作っているのだから、少々高くても良いものを食べたほうが長期的には絶対得だ」。ということで、社命と思って(笑)、並んでみることにした。
■スマホを禁止することで、感じる力、味わう力が強くなる。お客も店も幸せになる
待つこと10分くらい、スマホ禁止の店内に入ると、緊張が走った。スマホ触らないモード。「スマホだめ、スマホだめ、スマホだめ。・・・ダメ、ゼッタイ!」。スマホ中毒患者のプチ・デトックス。
店内待つこと10分ばかりか・・・、背筋を伸ばし、呼吸に意識を集中し、長く息を吐く。次第に心が整ってきた。スマホを時計代わりにしているので、時間すら分からない。妙に長く感じた。これほどまで時間は長いのか。スマホを触っていると、何となく湯水のごとく流れゆく時間が、重さを持つ。新しい木の香りと、ラーメンの香り、店員の声が満ちる。
人は、何かの感覚を制限されると、他の感覚が異様にさえてくる。完全な暗闇の中で、歩き、語る「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」という外苑前で実施されているプログラムがある。完全な暗闇の世界に入ると、普段、いかに目に頼っていたのかを知り、そして、同時に、触角や嗅覚や聴覚が冴えわたってくる。
感覚が高まった時に、「大変お待たせしました~っ!」とラーメンが出てきた。澄んだスープに、マッシュルームオイルが乗せられている。一口すすると、深いダシの味が、広がる。麺は、少し縮れている。麺が毀れないか心配しながら食すと、スープが絶妙にからまり、体全体に沁み渡る。店長に言われたようにマッシュルームオイルを途中から溶かすと、風合いが、かわり、高貴な香りと、コクが生れる。添え得られている肉は、鳥。さっぱりとしているが、歯ごたえが絶妙で、スープとの相性も良い。
何よりも、スマホ禁止は、人の感覚を解き放ち、ラーメンを満喫させる効果があった。この繊細なラーメンは、集中して食べることにより、本来の味が出てくる。
スマホを禁止することで、感じる力、味わう力が強くなる。お客も店も幸せになる。
■最高の夢をかなえたければ、指先に集中するな。Don’t think. Feeeel!
せっかくなので、このラーメン屋の経験を学びにしたい。だって、都心での貴重な経験ですから!!!
色々、言葉が想う意浮かぶのだけど、
”Don’t think, Feeeel!” が、しっくりきた。ブルース・リーがかの『燃えよドラゴン』で戒めた言葉で、この有名な一節の後に来るのが、
Don’t concentrate on the finger, or you will miss all the heavenly glory.
僕の訳は・・・
最高の夢(the heavenly glory)をかなえたければ、指先(スマホ?!)に集中するな。
指先にあるスマホにばかり気をとられていると、最高の夢から遠ざかってしまう。
もう少し前後を広く見ると・・・
Lee: Kick me. Kick me.
Lee: What was that? An exhibition? We need emotional content. Try again.
Lee: I said “Emotional content”. Not anger! Now try again! With me!
Lee: That’s it! How did it feel?
Students: Let me think…
Lee: Don’t think. Feel! It’s like a finger pointing away to the moon. Don’t concentrate on the finger, or you will miss all the heavenly glory.
よくわからないから考えると言う無闇に考えるのではなく(Don’t think)、疼き(emotional content)を感じることの大切さをリーは伝えようとしていると、僕は解釈した。
今の時代、何か分からないと、とりあえず、スマホを指先で操作してグーグル検索に答えを探そうと言う所作に似ている。もちろんグーグル先生が答えてくれることは多いが、最後決断するのは、論理では無い。疼きだ!(もちろん、論理も疼きの後には、大事だよ。 by クリシン講師)
疼きに身を委ね、思いっきり行動してみる。そして、そこから見えてくるものを感とり、新しい疼きに身を委ねる。考えても分からないことがあるからこそ、自らの疼きに身を委ねることが重要だ。
人は、取り組みやすい瑣事に時間を使ってしまう。7つの習慣で紹介さている「緊急 x 重要」マトリックスの、重要でないところに時間を使ってしまうことはあるのだ。例えば;
突然の来訪、多くの電話、多くの会議や報告書、無意味な冠婚葬祭、無意味な接待やつき合い、雑事、暇つぶし、単なる遊び、だらだら電話、待ち時間、多くのテレビ、その他の意味のない活動
7つの習慣-成功には原則があった!
(スティーブン・R・コヴィー著) より
なんとなく、反応をしなければならない、から、やってしまう。
同様に、スマホに人生の貴重な時間の一瞬を奪われていないだろうか?なんとなく、時間があいたから、Facebook見ちゃう。そして、自分自身の人生にとって、本当に重要な、自分自身の疼きに耳を傾けることを忘れてしまう。
それが、一度きりの人生の過ごし方だろうか?
最高の夢に向けて、指先で動かすスマホを手放して、自らの疼きに心身を委ねたい。雲の向こう側で仄めく月、おぼろげながらも見えている自らの夢に向けて、魂を賭けて、狼男の如く吠えてみたい。きっと、そこから、何か動くに違いない。
Don’t think. Feeeel!
無闇にスマホを使うことをやめれば、人生もっと美味しくなるはずだ!