こうした支援型の取り組みには、常に援助と依存の関係に陥らないか細心の注意が必要となるのですが、いつも悩ましいんです。
外部からの援助は、人間を弱くする。自分で自分を助けようとする精神こそ、その人間をいつまでも励まし元気づける。
(サミュエル・スマイルズ『自助論』)
グロービスのfacebook pageより
関与している方が良いことをしているつもりが、いつの間にか相手の力を弱めていることが起こるんですね。
深夜の飲み会、25時半くらいでしょうか、その中で、「もやもやとしたものがある」と述べた人がいました。普段は東京で仕事をしている人でした。すごく親身になって、生産者に寄り添う姿勢に、「すげーな」と、私は思いつつ、どこか、底辺で同じような思いを感じていることに、共感しました。私も、昔は、相手のためだと思って、色々と無料でやることが多かったです。一方で、この一年で、価値あるものには相手にお金を払ってもらうし、自分自身もお金を払うことが大切だと思うようになりました。無料は限界があります。
常に目の前の存在が、自立した存在であることを心に留めて、向き合う必要があります。
堀義人に言わせれば「可能性を信じる」ですし、
コーチングでは「NCRW(Naturally Creative,Resourceful,and Whole)」です。
ここからすべてが始まるのです。
東北には、いくつか価値あるものが「無料」で提供されています。もちろん震災初期には、そうせざるを得ない事情があったと思います。
しかし、残念ながら、経済活動から切り離されてしまうのです。すると、継続性に成立することが難しいものが多い(もちろん、善意のみで成り立つプロジェクトもある。GRAの品川区のドリームツリープロジェクトは、ほぼ無料で遂行されている。ただ、無料で継続し続けるには、多くの条件が必要となることは、いくつかプロジェクトを作ってきた中で実感している。)。
ただより高いものはない
この言葉、色んな使われ方があるかと思いますが、私自身は、無料で続けると、依存と援助の関係に陥ってしまい、本来発揮されるべき人間の可能性が失われることが、高い代償とつく、と理解しました。
東の食の実行会議、素晴らしいことをしていると体感したので、ぜひ、適正な経済活動と共に成り立っていって欲しい。寄付を募っていました。当たり前に良いと思います。
正直、多くの社会起業家達が、自分たちの人生を幾分か「犠牲」にしながら立ち向かっている姿勢に対して、心からの敬意を払いつつも、自分自身は、そこまでできないなと思ってしまう感情があります。人に言わせれば「甘い」「覚悟がない」のかもしれませんが、95%の人間は、そう思うのではないでしょうか?大学新卒2年目よりも安い給料で働き続けることがよいとは思えないのです。
RCF復興チームの藤沢烈さんも、収益基盤の大切さを言っています。
藤沢:自分が知っているだけでも20は立ち上がったと思います。ただ残念ながら、ほとんど活動ストップですね。数少なく残った団体に共通していたのは、わずかでも収益基盤を持っていて、ある程度キャッシュを回せているところでした。決して大きな金額ではなくても、わずかでも回っていれば続けられるということを知りました。
マッキンゼーを経てNPO立ち上げ。「Mr.復興」と呼ばれた男〜RCF 第3回 藤沢烈氏(一般社団法人RCF代表理事)
支援を受ける側も、支援を行う側も、一定以上の資金のめぐりは必要です。人間には血の巡りが必要なように、経済には金の巡りが必要なんです。決して、無料がいいわけではないんです。
ということで、初日のディナーに、藤沢さんに文中の「わずか」っていくら?と聞いてみました。ここには書きませんが、うん、それなりの金額だなぁ、と感じました。
ただより高いものはない。
と、強く思うので、ここで再度、述べておきます。
ボランティアにも復興にもお金がかかるのです。そこに目を背けている限り、大きなインパクトは及ぼせないです。
常に、目の前の人は、「自立」した大人として、しっかりと、請求しましょう。
僕は、請求します。そして、断られます。長年営業をやってきましたが、営業とはそういうものです。断られるのです。それでいいのだ!お互い自立した大人なのですから、はっきりと意思表示をし、そこにあとくされないようにしたいものです。